ミッドナイト・イン・パリ。
ウディ・アレン「ミッドナイト・イン・パリ」を観る。
ウディ・アレンは、やっぱり鉄板。そして、パリも鉄板。更に、ナイロン100℃「ノーアート・ノーライフ」を持ち出すまでもなく、パリのカフェやサロンにたむろする芸術家モノも、鉄板。
いつ頃から、「ノスタルジー」という言葉は、悪い意味で使われるようになったんだろう。ノスタルジーを賞賛する気は毛頭ないけど、卑下したり嘲笑したりするものではないと思っている。
芸術が、まだ芸術として機能していた頃では、カフェも、まだカフェとして機能していた。それが今や、文学論や映画論、芸術論を戦わせる場はネットになってしまった。それが悪いことだとは思わない。だってそのほうが断然、便利で効率的だから。ル・シネマで、「ミッドナイト・イン・パリ」の隣りの劇場で上映している「サニー 永遠の仲間たち」は、著名な方にツイートされてから集客が劇的に増えたということだし、そのツイートを見なければ、僕も間違いなく観ていなかった。本当に素晴らしいツールだと思う。だからこそ、それを踏まえた上で、不便で非効率なものへの愛着が一層湧いてしまう、アナログ世代のラストエイジな僕らは、懐古主義として笑われているのかもしれない。
それでも、ネットでやっているそれを、どうせやるならカフェでやって欲しい。酒場でやって欲しい。だって今でも、リアルなカフェの店内では、作家と編集者がお喋りしていたり、ミュージシャンがユーストを撮っていたり、舞台役者がシュークリームを食べたりしているんだから。
僕らの今生きている時代が、あと何十年か経ってから、「2012年、あの頃がやっぱり黄金世代だよな!」と憧れられるとき、今店内にいる彼らはヘミングウェイであり、ピカソであり、ゴーギャンであるのだから。