思春期。

お客さんとカフェの店員の関係性なんてものは、1本の映画の中で偶然にすれ違う主人公と通行人Aみたいなものなのだけど、時折思いもよらず、僕たち通行人Aにも役名や台詞が与えられたりする。
役名や台詞がないときには、完璧に自然にスマートに通行人Aを演じることができていたはずなのだけど、それを与えられた途端にギクシャクとぎこちない動きになってしまったりする。お前のことなんて誰も見てねえよ!なんて言われても、なんかちょっと緊張しちゃう。自意識過剰もいいとこなのだけど。

なんだか片思いに似ていて、相手の気持ちにこっちが気付かないうちは、「僕を好きになって!」みたいに直球を投げ続けることだってできるし、あるいは「僕は静かに眺めていられればそれで幸せ」なんて具合に適度な距離感を保とうとすることだってできる。「僕のこと好きかな?」とか「嫌われちゃったかな?」なんて、ウキウキしたりモヤモヤしたり勝手にしている。
それが、どうしたことか、相手にも自分に対しての好意があると気付いてしまった瞬間から、「嫌われたくない」という守りに入ってしまう。恋ならば終わりが来ることは必然で、覚悟はできているのだけど、愛になったらそれを継続したくなってしまう。「いったい、こんな私のどこが好きなの!?」だとか、「お願い!私を棄てないで!」みたいなヒステリックな衝動に駆られてみたりもする。こんなにも幸せを与えてくれて、こんなにも失うことが怖いものは、愛をおいて他にない。いけないいけない、僕たちは通行人Aであることを自覚して、最高の通行人Aを演じなければ。たかだか通行人Aにも、そんな、芝居に対してのプライドや葛藤がある。ドラマチックな試合に水を差さないように、打者も熱くなり観客のビールもすすんじゃうようなストレートとカーブの絶妙な配球での攻めの投球や、2回裏のなんでもない送りバントを成功させなきゃいけない。

誰かの人生劇場にとって、「あの通行人Aの役者、いい芝居してたよなあ」なんて出演ができたのなら、本当に嬉しい。

突然の大抜擢にも台詞をとちらないように、こっそり稽古しときます。