8周年。

お店をつくる、ということは、
自分の世界観を具現化する、
ということだと、
お店を始める以前は思っていました。

世界観、なんて言うと、ずいぶん特別なもののようですが、
実際のところはきっと、生き方のようなものであり、
それがない人なんてたぶんいなくて、
当たり前に誰にでもあるもののような気がしています。
「自分の世界観を前面に出すことは好ましくない」
という世界観だって世界観です。
表現と呼ばれるものは、きっとそれのことです。

お店をつくって、そこに世界観を具現化させて、
人はそこに籠ります。
自分の世界観に守られるように。
籠っていてもそこには、
自分の世界観を理解し、共感してくれる人たちが
来てくれます。
だったらそれでいいじゃないか、と思いもしますが、
あえてそこから出ることを
ここ数年はしてきた気がします。

世界観が自覚できたら、
その世界観から外に出ていくこと。
自らの世界観を携えて、その外へ出ていくこと。
そうすると、
自分が具現化した世界観なんかより、
現実の世界のほうが圧倒的にひろいことに気づくはずです。
8年たって、そのことに気づきました。だいぶ遅いですね。

美しいものを見れる限り見て、
美しいもの、という枠組みがどんなに広がっても、
現実の世界は思っていたよりもはるかに美しい。
醜いものを見ないようにして、
それでも目にしてしまう醜さの多さに傷ついても、
現実の世界は思っていたよりもはるかに醜い。

世界はいつも、思っていたよりもはるかに。

そのことを知って、
かつて籠もっていた世界観に帰ってくると、
誰かと言葉が通じるようになっていたり、
誰かと言葉が通じなくなっていたりします。

誰かと一緒に同じ世界観をつくることと、
別々の世界観の誰かと一緒にいること。

ようこそ、世界へ。

nicolas、8周年です。
「いいお店になりましたね」との言葉をいただきました。
感謝しかありません。
いい店にしてくださったのはお客さんです。
あなたの世界観です。ありがとうございます。

お店は生き物なので変わっていきます。
nicolasもだいぶ変わったのかな。
ただ、ほんとはずっと変わってないんですよ。
最初から、ずっと変わり続ける、という意味で、
ずっと変わっていないです。
見えていなかったものが見えるようになったかわりに、
見えていたものが見えなくなったりを繰り返しています。

2011年、
変わらないものは何もないと気づかされた年に
オープンしました。

変化の最終形態は、消失です。
そのときまで、
今しばらくおつきあいいただければ幸いです。