ほとんどなにもない。
本質、という言葉があまり好きではないので、
別の言葉に置きかえようとするのですが、
そうすると、うまく伝わりません。
逆に、本質、という言葉を使いさえすれば、
本質でないものまで本質として流布することも、
できるのかもしれません。
それが、本質という言葉の本質、
とまでは言いませんが、そういう一面があることは
確かだと思っています。
本質の本質、ではありませんよ、
本質という言葉の本質、です。
言葉っていうのは、ほんとに、あれです。
わかったような顔をしている人がいます。
わかったような顔するの上手だねえ、
ずいぶんと練習したんでしょう、
わかろうとすることを放棄して、
そのぶんその顔の練習したんでしょう。
わかったような顔をすると不誠実な気がするので、
なるべくわかったような顔はしないようにしよう、
わかったような顔をしない人のほうが、
ちゃんとわかってるような気がするんです。
そのほうが、近い気がするんです。あれに。
美しい人生の物語があったとして、
それを、その話を、その話の本質を、
泣ける話
に集約したら、広く伝わるでしょう。
でも、その話は、
その人生は、
そんな話じゃないんですよ。きっと。たぶん。
そんなあれじゃ、きっとないんです。
本質は、湖面の月のようなものです。
こう、言葉にすると、
言葉にした途端に本質から遠ざかる。
湖面の月を掴もうとすると、
それは消えてなくなる。
見上げると、月はずいぶん高いところにある。
それが本質の本質のような気もするし、
ぜんぜん違う気もします。
ほとんどなにもないような
あれ
に、ほとんどのことが
入ってるんじゃないかと思います。
これもたぶん、気のせいなんですが。