カフェとアイドルは似ている。
カフェとアイドルは似ている。
カフェというものはどうも、飲食業の人たちから、
「おままごとみたいなことをオシャレっぽくやってるだけ、所詮お遊びでしょ?」
とバカにされているふしがある。
アイドルが、ロックミュージシャンから、
「知識もテクニックもないのにツラで売れてるだけ、素人集団でしょ?」
と思われているのと似ている。
カフェというものはどうも、食通のお客さんから、
「ファッション感覚で若い子向け、大人になったら相応の隠れ家ビストロにいかないと」
とバカにされているふしがある。
アイドルが、音楽通から、
「子供が夢中になってる分にはいいけど、いい歳してアイドル聴いてたらちょっとね」
と思われているのと似ている。
昨今はいろいろなアイドルがいて、多くの人から認められてきてはいるものの、
「とてもアートとは呼べないし、歌もダンスも素人だし、
芝居もイマイチだし、何がいいのかさっぱりわからない」
というイメージが、それでもまだ主流だと、僕は感じている。
きっとカフェも、
「コーヒーも美味しくないし、料理も素人だし、
デザートもイマイチだし、何がいいのかさっぱりわからない」
というイメージで見られているんじゃないかと思う。
一流のミュージシャンの技術は素晴らしい。
一流の料理人が作ったお料理は美味しい。
僕もその美味しさや素晴らしさは大好きだ。
だから、技術や知識の向上を放棄することは絶対にない。
そのうえで、その技術や知識を上回る、何かで勝負できないかと考えている。
超絶技巧の料理人が作ったお料理より、楽しい。
超一流のお店より、おもしろい。
それならできるんじゃないか。
少し前になるけれど、作家の樋口毅宏さんが、SPA!の連載で、
ジャニーズ作家の加藤シゲアキくんの「ピンクとグレー」を絶賛していた。
アイドルは何でもできる。アイドルは極めて有能な人種、
才能がなければアイドルは務まらない。
「加藤シゲアキの幸運はその知名度によりたくさんの人に読んでもらえること。
そして加藤シゲアキの不幸はアイドルであるがゆえ正当な評価を得られないこと。」
嵐の二宮和也くんはインタビューで言っていた。
「アイドルだとバカにされながら仕事するのも楽しい」と。
きっと、評価をひっくり返す快感を知っているからだと思う。
カフェという場所はなんでもありの飲食店で、悪く言えば節操がない。
本格派のレストランが、ライブや、映画の上映会など、本業以外のイベントをしないのは、
彼らが料理とサービスに特化したストイックさで売っている商売だからだ。
実直で誠実、口数は少ない方がいい。格が落ちる。
カフェは「いやあ、しょせんカフェっすから」を免罪符に、なんでもやる。
彼らがストイックをアピールするなら、
僕らは、ストイックを絶対にアピールしない、というアピールをする。
誤解して欲しくないのは、僕にはレストランを敵対視してやろうなんて気持ちは全くなくて、
むしろ、ストイックに仕事をしている本物のシェフたちがいる、
この素晴らしき食の世界の入り口まで、少しでも多くの人を連れて行きたいと思っている。
そのきっかけに、カフェがなれればいい。
カフェとアイドルが似ているのは、その矜持が似ているんだと思う。
バカにされていることを自覚しながらも、エンターテイメントを提供すること。
「歌もダンスも下手だし、芝居もイマイチだし、何がいいのかさっぱりわからない」
と思っていたら、歌もダンスも芝居もだんだんとクオリティが上がってきて、
オールマイティなエンターテイメントになる。
コーヒーを飲みながら読書もできて、デザートも食べれて、おつまみでワインも飲める。
みんな、いつのまにかカラフルな服を着てペンライトを振ってるんだよ。
「あれ、アイドルなんて全然好きじゃなかったのに」とか言って。
最初はコーヒーが好きだったはずなのに、
最後には「ハコ推し」になっているはずですよ。